愛媛の河川

2008年7月 9日 (水)

天然ウナギの地獄漁

Unagitennen北宇和郡鬼北町内を流れる四万十川の支流は、天然ウナギの宝庫として知られています。地獄漁は長さおよそ70センチの木製の筒状の仕掛けを川底に沈めておく漁法で、ウナギがいったん筒の中に入ると、外に出られなくなる仕組みから「地獄」と呼ばれています。天然ウナギは黄色い腹をしていて、皮が薄く身が引き締まっているのが特徴で、キロ当り8500円程度で取引されます。

Kabayaki日本のうなぎの1パーセントは天然うなぎがいるはずですが、地元の料理屋などで消費されてしまうため、通常の流通ルートに乗ることはなく、幻の食材のうちに入ります。しかも年々漁獲高は減っているそうです。(愛南町M/K)

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2008年6月 8日 (日)

松前のカルガモ親子(福徳泉)

Fukutokukamo 重信川周辺には多くの泉が点在しています。自然の姿をそのまま残すものから、公園のように整備されたものまで様々です。松前町も、重信川の恩恵を受け、豊富な水に恵まれた自然の湧水が各地で見られます。自然環境や保護が見直される中で、昔からある泉と親しめるように3か所の親水公園が作られました。

Fukutokukamo_3 福徳泉(伊予郡松前町神崎・鶴吉)は水辺周辺の植物と自然をそのまま生かし、環境を破壊しないよう配慮されています。ちょっとのんびりとしたり、子供とふらっと遊びに行ったりと、穏やかな水面を泳ぐカルガモの親子を眺めながら、日だまりのひと時をゆったり楽しみませんか。松山の市街地からほんのわずかの距離で、心地よい自然の雰囲気を味わうことが出来る場所です。(松前町MR)

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2008年4月13日 (日)

重信川

Img81426_2 白猪の滝

司馬遼太郎が「街道をゆく・南伊予・西土佐の道」で「日本の河川で人名がついているのは重信川だけではないか」と書いています。重信川は加藤嘉明の代までは現在の流れではなく名前も伊予川と言われていた。文禄四年(1595)加藤嘉明は淡路国志賀城から松前城六万石に赴任してきます。慶長六年(1600)関ヶ原の戦いの功労によりニ万石に加増されました。松前城は海辺に近いため、波風の襲来を受けやすく、周辺部も手狭なため、他の地に移転することに決めました。そこで家臣の足立重信に命じて伊予川・湯山川の大改修に着手しました。目的は伊予川の氾濫を防ぎ、要害に備え、城下町の繁栄を促し、近在の田畑の灌漑に活用しようと考えたのです。湯山川の流域を南に変え、その末流を伊予川に合流させました。この功績により伊予川が重信川と呼ばれるようになったのです。
足立重信にはもう一つの逸話があります。それは瓦を山の上に運ぶにあたって、近郊の農家より人をたのみ、人垣を作らせ、手渡しで一夜の内に全部を運ばせて嘉明を驚かせた、といいます。知恵者の面目躍如といったところです。Img10088_2 重信川河口の夕日

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