天然ウナギの地獄漁
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
重信川周辺には多くの泉が点在しています。自然の姿をそのまま残すものから、公園のように整備されたものまで様々です。松前町も、重信川の恩恵を受け、豊富な水に恵まれた自然の湧水が各地で見られます。自然環境や保護が見直される中で、昔からある泉と親しめるように3か所の親水公園が作られました。
福徳泉(伊予郡松前町神崎・鶴吉)は水辺周辺の植物と自然をそのまま生かし、環境を破壊しないよう配慮されています。ちょっとのんびりとしたり、子供とふらっと遊びに行ったりと、穏やかな水面を泳ぐカルガモの親子を眺めながら、日だまりのひと時をゆったり楽しみませんか。松山の市街地からほんのわずかの距離で、心地よい自然の雰囲気を味わうことが出来る場所です。(松前町M・R)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
司馬遼太郎が「街道をゆく・南伊予・西土佐の道」で「日本の河川で人名がついているのは重信川だけではないか」と書いています。重信川は加藤嘉明の代までは現在の流れではなく名前も伊予川と言われていた。文禄四年(1595)加藤嘉明は淡路国志賀城から松前城六万石に赴任してきます。慶長六年(1600)関ヶ原の戦いの功労によりニ○万石に加増されました。松前城は海辺に近いため、波風の襲来を受けやすく、周辺部も手狭なため、他の地に移転することに決めました。そこで家臣の足立重信に命じて伊予川・湯山川の大改修に着手しました。目的は伊予川の氾濫を防ぎ、要害に備え、城下町の繁栄を促し、近在の田畑の灌漑に活用しようと考えたのです。湯山川の流域を南に変え、その末流を伊予川に合流させました。この功績により伊予川が重信川と呼ばれるようになったのです。
足立重信にはもう一つの逸話があります。それは瓦を山の上に運ぶにあたって、近郊の農家より人をたのみ、人垣を作らせ、手渡しで一夜の内に全部を運ばせて嘉明を驚かせた、といいます。知恵者の面目躍如といったところです。
重信川河口の夕日
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
最近のコメント