大洲の観光

2008年5月26日 (月)

「伊予の小丸太」筏流し

Ikadanagasi

上流で切り出した木材を川に浮かべて運ぶ懐かしい「筏流し」が肱川で再現され、16連、長さ60メートルの筏を、蓑笠姿の筏師5人が水竿を巧みに操って河口の長浜町まで運びました。肱川は、愛媛県南部を流れる県内最大の川です。明治から、昭和初期まで肱川沿いには大小あわせて40余りの船着場があり、200艘以上の川舟や帆掛け船が、「重要な交通輸送水路」として、五十キロもの山奥から地域の特産物や生活物資、時には人を乗せて、また、木材や竹などは筏を組んで川を流していた。肱川河口にある現在の大洲市長浜町は「伊予の小丸太」の集積地として、日本三大木材集積地の一つといわれていた。

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2008年5月22日 (木)

鵜のトレーニング---

Unotoreinig 6月1日からの水郷・大洲の観光名物「鵜飼い」の開幕に備えて主役の鵜たちが肱川でトレーニング-goodを始めました。シーズンオフ中の「メタボ」の体重を500グラムほど落とすため、8ヶ月振りに大洲市の肱川の肱北河原で行われた野外トレーニング-goodには、20羽いる鵜のうち15羽がトレーニング-goodに参加し、鵜匠さんから鵜綱やタスキをそれぞれ取り付けられて籠から出されると、準備体操もソコソコに勢いよく「今年も頑張るぞ」とばかりに川に向かって羽ばたきました。Unotoresign02

Uuuu 羽をばたつかせたり、泳いだりしていましたが、次第に慣れてくると水に潜るトレーニング-goodを始め、9月20日までの期間中に目標の1万2000人の観光客を集めるぞと元気に泳ぎ始めました。鵜はトレーニング-goodにより2キロのベスト体重までシェイプアップして本番に備えます。coldsweats01

大洲の鵜飼いは1962年に始まり、岐阜県の長良川や愛知県の木曽川などの鵜飼いと並んで「日本三大鵜飼い」の一つです

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2008年5月11日 (日)

人面岩は「力石 徹」 似

JRの出石駅から、豊茂方面。出石寺に向かうと、須沢へ行く分かれ道に出合う。その三叉路の左側の山肌を見上げると人面岩は、ちょうど正面に小さく目に入ります。Jinmenkanban_3 Jinmenyama12_2 かなり高い位置にあるのでともすると見逃してしまいがちですが、この人面岩は、自然にできたものでなく、人の手で造られたもので、目や鼻、唇などがくっきりと浮き出て、あしたのジョー」に登場する力石 徹りきいし とおる)の顔と似ているsign02coldsweats01彫りの深い顔をしたこの岩(高さ約5m、巾3m)山肌から県道長浜保内線沿いを見下ろしています。

人面の製作者は、『力石力造』(ちからいしりきぞう)。彼は、文政元年(1818年)現在の豊茂楠ノ木に生まれ、幼少のころから大変な力持ちで『大力』(だいりき)と呼ばれていました。Jinmenap_2 Jinmeniwa_2

大洲・長浜地区で石工を主な生業とし活躍した、田畑から屋敷・道路の石垣など、持ち前の力と器用さで見事な石組みをする名工で、豊茂から櫛生に抜ける旧道の完成記念に、今から155年以上前に作ったとのことです。ちなみに、『力石力造』という名は、当時の大洲藩12代藩主加藤泰幹が、大洲城の石垣工事に来ていた力造の力量を見とめて、「力」+石工の「石」→「力石」の苗字を与えたそうです。

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2008年4月 9日 (水)

臥龍(がりゅう)の渡し

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大洲市の肱川で、春を告げる観光渡し舟「臥龍(がりゅう)の渡し」の運航が始まった。船頭がゆっくりと櫓をこぐ屋形船に乗って、清流肱川の流れに揺られながら、如法寺河原から臥龍山荘下の大洲随一の景勝地「臥龍淵」を遊覧できます。

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臥龍山荘

(がりゅうさんそう)

町の東端にある肱川の景勝地・臥龍淵(がりゅうぶち)に立つ山荘で、大洲一番のみどころ。

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明治時代に4年の歳月をかけて建てられた冨士山(とみすやま)を借景にした庭園に立つ数寄屋造の名建築。

山荘の入口を入ると母屋の臥龍院。桂離宮の様式が随所に見られ、庭を歩いて行くと知止庵(ちしあん)。突き当たりには、庭の苔や石も美しい不老庵がある。

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運航は5日から5月末までの土、日曜、祝日の計22日間。

肱川「臥龍山荘下」~「如法寺河原」

料金: 片道 大人100円、小人50 

主催者: 大洲市観光協会

問い合わせ先: 大洲市観光協会 0893-24-2664

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