愛媛の伝説

2008年6月29日 (日)

瀬戸のジャンヌダルク

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今治市大三島の大山祇神社に日本に現存する唯一の女性用鎧があります。鎧の持ち主の名は鶴姫。鶴姫は大山祇神社の神官大祝(おおほうり)家の大祝安用の娘として大永6(1526)年に生まれました。時代は戦国時代。大祝家は三島水軍(河野水軍)の一族で、河野氏は瀬戸内海一円に勢力を張り、大内氏と拮抗していました。河野氏が出陣すれば、大祝家も陣中の神官である陣代として出陣しなくてはなりません。先の出陣で兄を亡くしたため、鶴姫も陣代として出陣することになったのです。

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鶴姫が出陣した戦いは見事大内氏を撃破します。しかし、この戦いで鶴姫は恋人であった越智安成を失います。戦いから帰った鶴姫は兄、そして恋人を追って自害します。年齢わずか18才でした。若い男女が大三島の海に鈴を落とし、見えなくなるまで一心に祈ると、二人の心は一つになるという言い伝えがあります。(今治市MS)

鶴姫の時世の句。

「わが恋は三島の浦のうつせ貝むなしくなりて名をぞわづらふ」

これが鶴姫の物語です

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2008年6月21日 (土)

新居浜名物10円プール始まる

今年も新居浜市で名物の10円プールがオープンしました。

10yenpool2 新居浜市東雲町にある市民プールは、入場料。中学生以下の子供は10円、大人は60円で運営されています。1972年の開設当初は30円でしたが、翌年から市民の要望で2時間10円と決めてから値上げをせずに、市民には「10円プール」の愛称で親しまれています。

新居浜市東雲市民プール

大人(高校生以上) 1人2時間まで60円 

            2時間を超える1時間ごとに30円増

小人(中学生以下) 1人2時間まで10円 

            2時間を超える1時間ごとに20円増 

ロッカー施錠使用1ボックス1回10円

 

10yenpool1幼児用プール、流水プール、ウォータースライダー、50mプールなどがあります。小学三年生以下は保護者同伴でないと入れず、50mプールは小学生までの子どもは保護者と一緒でも泳げません。

東雲市民プール(営業時間)TEL(0897)32-3595

6月20日から6月30日12:30~17:30

*土・日曜日09:30~17:30

7月01日から8月31日09:30~20:00 (新居浜市TS)

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2008年6月13日 (金)

蛇口からみかんジュース

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蛇口からみかんジュース

県外で広まっている噂話「愛媛では、水道の蛇口からみかんジュースが出る」が今月15日から毎月第3日曜日に実現します。この「ポンジュース蛇口」は噂に因んで、㈱えひめ飲料が企画制作したもので、今後は、毎月第3日曜日に松山空港の2階にある出発ロビーに「ポンジュース蛇口」を設置して、試飲イベントを実施します。ご近所の皆さまもぜひお立ち寄りください。6月15日の父の日は松山空港G onグ~

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秘密のケンミンSHOW」という番組で紹介されたポンジュースを入れて米を炊き、給食の定番メニューでもあるという「みかんご飯」。 「あけぼのめし」「オレンジピラフ」ともいうが、その内お弁当として販売されるかも知れませんね。

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2008年5月20日 (火)

髭男爵(ひげだんしゃく)は愛大出

髭男爵(ひげだんしゃく)は愛大出

山田ルイ53世(やまだルイごじゅうさんせい)

1975410日生まれ・自称・パリ・シャンゼリゼ通り出身・ソルボンヌ大学卒業。

趣味はオペラ鑑賞・キツネ狩り特技は乗馬・チェス 好きな食べ物はキャビア・フォアグラ・トリュフ(世界三大珍味) 自称ソルボンヌ大学卒業

貴族のように派手な衣装で、ワイングラス(中身はファンタグレープ)を片手に舞台に上がり、グラスを掲げて「ルネッサ?ンス」と言う持ちギャグがある漫才師をご存知でしょう。貴族の笑いを世間に広めているコンビの貴族役、漫才ではツッコミを担当していて二人でグラスを当て高笑いしつつ突っ込む。しかし、住む世界が違うせいか、たまに理解されないという。

本名:山田 順三君(やまだじゅんぞう、1975410日生まれ)。

実際は兵庫県の三木市の出身で、愛媛大学法文学部文学科夜間主コース。高校時代は引きこもりだったらしい。私の友人の息子さんから「愛媛大学で同窓だったんよ」って聞いてから、なんとなく応援してしまうんよ。

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2008年4月23日 (水)

「穀物の種は命より大切」

Img39054 作兵衛は、元禄元年(1688年)、伊予国松山藩筒井村(現在の松前町)の貧しい農家に生まれました。少年の頃から昼は田畑を耕し、夜は遅くまでワラジをつくるなど働き者で、村の人々は作兵衛を若者の手本だといって褒めていました。貧乏な農家でしたが荒れ地を開墾して、田んぼを増やしていきました。しだいに家は豊かになり作兵衛の子供も元気に育っていました。ところが、享保175月に降り始めた雨は60日たっても止まず。また、ウンカやイナゴなどの害虫が大発生しました。前年の冬から天候不順だったのですが、害虫による被害は各地に大打撃を 与え、雑穀やクズ根で飢えを忍んでいた人々も相次いで亡くなりました。

Ginou 作兵衛の家族も同じように飢えに苦しみながら、畑仕事に精を出していたのですが、9月になると、ついに倒れてしまうのです。駆けつけた近所の人は作兵衛の枕に気づきます。聞いてみると、麦の種が入っているということでした。食べて元気になるように勧める人々に、作兵衛は言います。「農業は国の基、種は農の本。一粒の麦が来年は百粒にも千粒にもなる。いま自分が死んでも何百人の命が救えるなら私の本望です」

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923日、作兵衛は死にますが、生き残った農民が豊作を祈りながら死を代償に残した麦の種を蒔きました。作兵衛は大義のために死んだのです。麦の種を残して死んだ作兵衛を悼んで、松山藩は年貢免除に踏みきり多くの命を救いました。死後45年目安永5年(776)時の藩主定静が丹波南陵に命じ頌徳碑を建立し贈ったということです。その精神は「義農」といわれ、「義農作兵衛」の呼び名で現在にも残っており、毎年4月23日に彼の銅像が建つ松前町の義農神社で「義農祭」が開催されます。

初難も知るや義農の米の恩  子規

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2008年3月28日 (金)

「瀧姫」と「おたたさん」

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後冷泉天皇の永承年間(10461052)、京都の公卿清原朝臣の妹、御多喜津姫(瀧姫)が身分違いの愛を遂げようとして罪に問われ、三人の侍女と共に京都から追放されました。流罪により、船に乗せられた4人は伊予の国松前浜に漂着しました。漂着した瀧姫たちの身の上話を聞いて、人情厚い松前の人々はいたく同情して親切丁寧に世話をしました。瀧姫らも温かい松前の人々の人情に心動かされ、この地を永住の地と定め、生活のために魚行商の道を求めました。

Takihime

瀧姫は、京に住んでいたころに見かけた大原女を思い起こし、平元結に銀のかんざし、どんすの帯を前結びにし、黒羽二重の紋服に裾をからげ、桶を頭上にいただいて、松前城下を「魚いらんかえ-魚買わんかー」と京言葉で売り歩きました。魚を売り歩く、美しく気高い滝姫の姿に村人達は憧れ、やがて「おたきさま」と呼ぶようになり、村の女達は滝姫と同じ服装をして頭上に桶を乗せて松前から川内まで魚の行商を行いました。そして、滝姫の死後に村の女達を「おたたさん」と呼ぶようになりました。

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慶長7年(1602)に当時の松前城主、加藤嘉明が松山城の築城に着手した際に、松前の港に陸揚げされた城を築く為の石礫(せきれき)を運ぶのに「おたたさん」の頭上運搬能力を買い、おたたさんに魚の代わりに石礫を乗せて松前から松山まで運ぶことを命じました。大名から送られた石垣用の石を、毎日たくさんの松前のおたたさんが頭の上に乗せて松山まで運んだのです。松山城が完成すると功績を頌えられ「御用櫃」の焼き印の入った桶を頭上に乗せて城下での商売が許され、松山城の城門に入るのも自由でした。

私見ですが、松山のおっとりとした話し方は「おたきさま」と「おたたさん」の「魚いらんかえ-魚買わんかー」と京言葉で売り歩いたことが影響しているのではと思っている。

今日でも「おたたさん」は、朝夕にリアカーや単車で、松前町や松山市内で魚を売って回っています。

2008年春に中四国最大のショッピングセンター「エミフルMASAKI」が松前町に完成オープンし、190店舗の専門店が入り「笑顔いっぱい」の笑顔が降るまち、エミフルが誕生します。

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2008年3月27日 (木)

伊予のねがい石

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伊予灘に面した海岸は、渚から松原につづく砂丘に赤緑青白紫と五色の美しい碁石のような小石が埋めつくされ、そのため五色浜とよばれる。この五色の小石に哀れな伝説がある。寿永(1182)の昔、平家が滅亡した頃、この浜に五人の美しい姫が隠れ住んでいた。姉の姫は源氏への恨みを晴らそうと海岸で真赤な「平家蟹」を見るにつけ、源氏の旗と同じ色の白い蟹を探すのですが、見つかりません。妹たちにも「白い蟹、源氏蟹を探せ」と命じたが、然しそのような白い蟹などいるわけがない。毎日、姉姫に責められるつらさに、妹たちは一計を案じ、白粉(おしろい)を赤い蟹にぬって姉姫に差し出しました。姉姫は喜んで「この源氏蟹め・・・」と海岸の岩にその蟹をたたきつけたところ、浪にあらわれ白粉がとれ、真赤な「平家蟹」が現れました。嘘と気づいた姉は失望と怒りに錯乱して一人の妹を殺し、三人の妹姫は恐ろしさの余り逃げ廻ったが「いっそ父上や兄様のもとに参りましょう」と相抱いて海に身を投げ、姉姫も「憎い源氏め・・・」とののしりながら海辺をさまよい、妹姫のあとを追い自らも海に身を投げました。それ以後、浜に五色の小石が現れたのが地名の五色浜の由来となったのです。

Gosikihime_2 土地の人々は、五色の石を手にして悲しみにうちひしがれ、石になってしまった五色の姫達が生き返ってくれることを日々願いました。人々の涙が五色の石にふりそそぐと不思議なことに海のかなたから、五色姫達がよみがえりました。それ以来、「五色の石に願い事をするとかなえられる」と言う言い伝えが広まり、祈願成就の「ねがい石」として現代に伝承されています。ねがい石は特に五のつく日と神社祭事日に五色姫神社へ奉納し願い事をするとかなえられます。Gosikihime1_2 この伝説にちなんで3月の第4日曜日に五色姫の復活祭を開催しています。当日は五色姫と女性神輿のパレードで盛りあがります。

夕栄の五色が浜をかすみけり  子 規

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