愛媛で暮らす

2008年7月 2日 (水)

源泉100リットル100円

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湯ノ浦温泉の入口、国道196号線沿いにある「道の駅 今治湯ノ浦温泉」の北側に白壁と瓦屋根で囲われた温泉スタンドがあり100リットル100円で源泉を持ち帰ることができます。スタンドの前に専用駐車場があるから大きめの容器を持参しても大丈夫。神経痛や関節痛に良く効くといわれ、定期的に汲みに来る人が多く、自宅でゆっくり温泉気分が味わえると喜ばれている。源泉の温度は19.6度なので家庭で沸かし直して利用しています。

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温泉スタンド観音湯。ガソリンスタンドで見掛ける給油ノズルが並んでいて、湯の温度は22度前後、料金は100リットル100円。軽四トラックに黄色い大型ポリタンクを積んで温泉を買いにいきます。温泉スタンドで湯が買えるのも湯量が豊かだからでしょう。スタンドは鈍川温泉バスターミナルの脇にあり、町の特産品である檜を使った建物の中には観音様が鎮座していて、休憩所も設置されている。不老不死の妙湯にふさわしい風情ですよ。(今治市N・I)

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2008年5月15日 (木)

南予で見つけた「琴姫さま」

Bon_2 昭和43年から昭和48年にかけてボンカレーのCMに、和服姿の上品な女性が出演していた。その女性の名は松山容子。本名:田中(旧姓・出井)曠子。昭和131130日松山市生まれで、松山南高を卒業してすぐ松竹のニューフェースになる。昭和35年から若衆姿、お姫様姿、股旅姿、忍び姿、芸者姿、覆面姿、着流し姿、鳥追い姿、腰元姿、法被姿、お遍路姿、などの扮装をして、気ままな旅をつづける男装・女装のお姫様、琴姫が事件に巻き込まれ、危難に会いながらも華麗な七変化で悪者を懲らしめる。『琴姫七変化』可憐な容姿と太刀さばき(柳生新陰流免許皆伝)の美しさ、少年期に見た「琴姫様」の凛々しい美しさをご記憶の方も多いと思います。松山容子はお姫様女優としてお茶の間の高い人気を誇り、その後も「旅がらすくれないお仙」などに連続して主演していました。My2_2

映画関係者の間では『殺陣のうまい女優として、松山さんの右に出る人はいません』と言われていた。昭和46年に劇画家の棚下照生氏と結婚を機に引退したが、昭和30年代から40年代半ばにかけて、一世を風靡した時代劇の大スターでした。ボンカレーのCMは昭和43年に撮影され、5年間放送された。

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同時期に作られた看板は全国の小売店に95,000枚配布され、テレビのCMとの相乗効果でボンカレーは爆発的に売れ、製造元の大塚食品は一躍メジャーになった。ちなみに二代目は笑福亭仁鶴、「大五郎三分間待つのだぞ」三代目は松坂慶子。沖縄では、松山容子さんのボンカレーでないと売れないとのことで、今も松山容子さんの「ボンカレー」が発売されているそうです。この看板を観て「松山容子」=「琴姫様」との思い出を抱くのは、私だけだろうか。

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2008年5月 7日 (水)

鳥骨鶏にSMAPの名前

6日夕方に、3年前に東京から内子町に移住しているIMさんから久しぶりに電話があった。東京から遊びに来ていたお孫さんを松山空港へ送りに来たという。帰りに衣山のシネマサンシャインで映画「相棒」を観ていたら、私の事を思い出したらしい。IKさんの奥さんは「杉下右京」の大ファンでご主人は「亀山薫」の大ファンだそうで、私の顔が二人を足して二で割ったような顔だと常々思っていたそうで、急に声を聞きたくなったそうである。ご主人は茨城、奥さんは東京の出身で、ご主人は商社で定年を迎え、奥さんは確か看護師さんだったと記憶している。ではなぜ、関東から四国、そして愛媛の内子へ移住したのか、以前に聞いたことがあるが、1,四国は地震が少ない。2,物価が安い。3,食べ物が新鮮。特に奥さんは愛媛の内子という名前が気に入ったと言っていた。実際に住んでみると、人がのんびりとしていて暖かいとも言う。ご主人は東京で暮らしているときは「わしも族」だったらしいが、愛媛に来てからは、奥さんが「わたしも族」でご主人の行く所に付いて行くという。小さいながらも畑仕事をして、最近では、鳥骨鶏を飼っているので忙しいらしい。

Ukosmap_2 東京からのお孫さん(小学3年生)の話になったが、お孫さんが冬休みに来ていたときに、鳥骨鶏の卵が孵化して、お孫さんが鳥骨鶏にSMAPの名前を付けたという。Ukotuyosi_2

Ukokim_3 東京に帰ってからも再々メールで成長を聞いてくるので、写真を撮ってメールで送っていたら、連休を利用して羽田から一人で飛行機に乗り鳥骨鶏に会いに来たという。また、この五羽の鳥骨鶏はお孫さんの行くところに付いて歩くという、鳥は初めて見たものを親と思う習性の「すり込み」があるが、もしかして『鳥骨鶏』にも、「すり込み」があったのではと笑っていた。IKさんちの鳥骨鶏は自家製のケールやほうれん草、ひじき、カキの殻、だしジャコを乾燥させた魚粉などを食べていて、いたって健康だそうである。

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2008年5月 6日 (火)

愛南大漁まつり

「愛南大漁まつり」 54

Ainan1 南宇和郡愛南町の御荘湾では、およそ2万人が集まり、恒例の網や手でタイやハマチを捕まえる立て干し網やかつおフェアが人気の愛南大漁まつり開かれました。この「立て干し網」は、干潮に合わせて長さ700メートルの網で湾を仕切り、潮が引くのを待って逃げ場を失った魚を捕まえる伝統的な漁法です。Ainan2_2 

Ainan3 午前9時15分。漁の開始を告げる花火を合図に、網を手にした大勢のにわか漁師たちが勢いよく海に入っていきました。網で仕切られた湾内には天然のボラやチヌのほかタイやハマチなどが2000匹、アジが2万匹放流されていて参加者らが腰まで水に浸かりながら魚を捕まえていました。Ainankatuo

また隣接する南レクロッジのかつおフェアの会場にはカツオの町・愛南町らしく、今朝水揚げされたばかりの新鮮なカツオ1500匹が用意され、浜値近い値段で販売され、カツオのたたきの試食やカツオどんぶりの食事コーナーも行列が出来ていました。

五十崎大凧合戦 55

内子町の豊秋河原で、子どもの日の恒例いかざき大凧合戦が行われました。この大凧合戦は400年以上の歴史をもつ伝統行事で、大凧合戦の起源になっています。今年、初節句を迎えた子供達137名分の名前が書かれた出世凧5統が、子供達の健やかな成長を願って次々と大空を舞いました。そして午後1時、いよいよ大凧合戦がスタート。小田川を挟んで行われるこの合戦は、凧の糸に「ががり」と呼ばれる独特の刃物をつけて互いの糸を切りあいます。今年は、およそ600統のけんか凧が風に乗って大空を舞い、参加者たちは河原や川の中を走り回って、糸を張ったり緩めたりしながら、けんか凧を巧みに操って相手に勝負を挑みます。勝負がつくたびに約4万人の観客からは盛んな歓声が上がっていました。 

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2008年5月 5日 (月)

「伊予の二見岩」

Kai2 53日・10時より松山市北条辻の鹿島で四半的(弓矢)試射体験。1230分からは鹿島神社で神輿の宮出しが行われ、海上での櫂練りが行われました。櫂練りは鹿島神社の祭りに奉賛する船上の舞で、神輿を乗せた御座船の先導として、海上を漕ぎながら船上で踊りが演じられ、また、14時から鹿島島内では白鷺太鼓、伊予万歳、獅子舞が繰り広げられました。Kaineri

櫂練りの起源は治承年間の河野水軍。水軍の出陣に際し鹿島の神前に集結して戦勝を祈願し、凱旋の時の祝勝奉賛が鹿島神社の神事となり櫂練りはこれに起源するものと伝えられています。水軍は、衰微絶滅したが、北条の辻浜、土手浜一帯の住民は先祖の武勇をたたえ、往古の遺風をしのぶため漁船の競漕を試み、櫂練りを演じる風習が伝承されてきました。江戸末期にいたってこれを鹿島神社へ奉賛するようになり、さらに神輿渡御の御乗船に供棒警護にあたることとなって今日に及んだものです。

Futami2 Futami 54日・9時より鹿島渡船場大鳥居前において、海上の安全と五穀豊穣などを祈願する北条鹿島の伝統行事、「大注連縄の張り替え」が行われ、伊予の二見岩の注連縄が新しくなりました。3本の注連縄の中に、観光客ら多くの人の願い事を書いた「願い文」を入れ、掛け声をかけながら「ヨリ」をかけ、一本の大注連縄に織り込み、1330分より鹿島沖およそ600メートルの所にある玉理・寒戸島の夫婦岩の二つの島に直径30センチ長さ45メートルにもおよぶ大注連縄の張り替えが行われ、お供船に乗り込んだ観光客らは海上で繰り広げられる大がかりな大注連縄の張替え作業を見守っていました。

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2008年4月29日 (火)

『もぉーお腹ポンポン』

伊方町の『もぉーモォーフェスティバル』バーベキュー会場の焼き台に4,5人が地面に新聞紙を敷いて座っているが、皆、海の方を眺めて座っている。顔見知りばかりなので、何人来ているか数えてなかったが、総勢27名、去年より12名増えている。来れなかった人もいるが、初めての人も居る。西条のTKさんが弟夫婦だと言って紹介している人は、私も初めて会う人だった。新聞社に勤めていたが、定年で東京からUターンして来たという。TKさんが「浦島太郎」だからと紹介していたが、宇和島のSさんが「愛媛が竜宮城よ」と言って皆を笑わせた。久万町に移住しているYOさんが「横浜の息子の家に行ったが、やかましゅうて寝れんかった」と言うと、北条に移住しているFEさんが「ほらほうよ、久万は田舎やけん、フクロウやムササビが居る位やけんの」と言って、皆が大笑いした。YOさんの奥さんが2人とも「伊予弁」になっていると言って、またまた、大笑いである。そこへ、「若いし」(若者)が現れた。

Sadamisaki3 Sadamisaki 松山の古老の教え子の息子さんだそうで、佐田岬を案内してくれるという。全員OKで岬観光になった。四国の最西端の佐田岬半島。駐車場から灯台まで樹のトンネルの中を通り、遊歩道の途中の二つ目の山の頂上には展望広場がある。

Sadamisakitoudai Sadamisaki2 佐田岬灯台は、豊後水道に大きく付き出した崖の上にある。灯台の向こうの海は早吸瀬戸で、愛媛側では岬サバ、岬アジ。大分側では有名な関サバ、関アジが獲れる。誰かが「昼は魚にするで」「魚は別腹じゃけん」って言う。さすがに美味しかったが『もぉーお腹ポンポン』である。

東予組と中予組は帰路にキレイな夕やけを見ようと「夕やけ小やけライン」を通ったが、あいにく曇り空でキレイな夕やけは又の機会にとなった。Youhi Img30485 

晴天だとこんな夕やけが観れます。

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2008年4月28日 (月)

『もぉーモォーフェスティバル』

3年前から、JIUターンして来た人達と地元の人達が、自由参加で行楽に行こうとなったが、今年は、佐田岬半島・伊方町の『もぉーモォーフェスティバル』。1年目は現地集合・現地解散だったが、昨年、大三島へ行った時から、待ち合わせて乗り合いで行くことになった。車を運転する人は除いて、ガソリン代や高速道路の通行料は割り勘。乗り合いは、一人で来る人もいるので、男子組と女子組に別れるが、これが結構楽しい。・・らしい。今回の待ち合わせ場所は、伊予市のスーパーの駐車場。一応店長にことわりを入れておくが、帰りに買い物するからと言って了解を得た。(おばちゃんパワー炸裂)これで大きな顔して駐車出来る。時々、見回っておきますという返事も得た。300台位は置けるのでどこにおいても良いのだが、遠慮して端の方に並べて置くことにした。

Imgyouyakecoyake_3Nagahamaohashi_4 松山からR56号、伊予市から海沿いのR378号の「夕やけ小やけライン」を走り、「長浜大橋」を渡って、半島の両側に広がる海がキレイな佐田岬メロディーラインで伊方町の高茂高原へ。宇和海を望みながら牛のバーベキューが楽しめる「もぉ~モォ~フェスティバル」。佐田岬半島・伊方町の高茂地区周辺は明治時代から牛の飼育が盛んで、現在、3軒が和牛約300頭を飼育しているという。

Moumou1_4 Moumou2_3 

屋外でのバーベキューって不思議に食欲が出る。今年、用意された地元産和牛肉は約220キロだそうだが、別に牛モモ肉の丸焼きも参加者に切り分けて、地元産和牛をお腹いっぱい食べてください。なんて言われると余計に食べてしまう。地元住民でつくる町おこし団体「こって組」が主催しているが、地元の和太鼓グループや三崎高校吹奏楽部の演奏や他のミニミニライブもあって会場が盛り上がっていた。

帰路はつづく

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2008年4月26日 (土)

エミフルMASAKI今日オープン

Img54427_2 オープン前に、エミフルMASAKIに来る人がeye「松前町はきれいな町だ」と感じてもらおうと地元の住民が周辺道路の清掃をしていたhappy01中四国最大規模のショッピングセンター「エミフルMASAKI」(フジ・本社・松山市)が伊予郡松前町の筒井に今日オープンしました。sun「エミフルMASAKI」テーマは、「水と緑と花香る太陽の街」。敷地面積は、甲子園球場5個分の約20万平方メートルで、敷地の中央に、白とオレンジ色を基調にした吹き抜けがあり、開放的なイメージを演出した中核施設「エミモール」がある。衣料品や飲食店など184店が出店して、約6割が松山初登場です。アミューズメント施設が入る別館や屋外飲食エリア、公園エリア、5千台収容の駐車場などがあり、フジ直営のスーパーが並ぶ1階食料品売り場には、中予地方の農家約50軒からの直産野菜が並ぶ地産地消コーナーがある。施設内には水と触れ合える場所や、公園もある。飲食店はレストランや喫茶店約20店舗が入り、約900席あるフードコートを備え、家族連れに対応するため、大型の体験型屋内遊園地や託児所もある。開店は26日午前9時(一部店舗は同11時)。5月11日までは、周辺道路の渋滞による混乱を避けるために、train最寄り駅の伊予鉄・郡中線「古泉駅」 で乗下車する電車利用を呼びかけ、伊予鉄の無料乗車券を各駅で配るほか、JRの松山駅など松山市内4カ所からもbus無料シャトルバスが運行される。

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2008年4月25日 (金)

雨後のたけのこ堀り

Img37187_2 昨日からの雨が上がって、松山市の湯山地区Y.Sさん(63歳)から「たけのこ堀り」のお誘いの電話があった。湯山地区は県内有数のたけのこの産地で、収穫が最盛期を迎えている。湯山地区はたけのこの栽培に適した粘土質の赤土が広がり、毎年春になると、地元の115軒の農家がおよそ200ヘクタールの竹林で、たけのこを収穫している。

Img43264_3 少し盛り上がった土から、たけのこを見つけて、傷をつけないように慎重に鍬で掘り出すのだが、慣れるまでは、たけのこを見つけるのが難しい。「少し盛り上がった土」というのが、微妙なのだ。この地区で採れるたけのこは、肉質がやわらかく、えぐみが少ないのが特徴だということだが、10cm以上地面から出ていると、身が固くなって「たけのこ」というより「竹の子」となる。

たけのこの掘りアイテム

軍手・地下足袋(フェルト底地下足袋がおすすめ)・唐鍬(とうが)

白は祭り用ですTabi_3 

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地中付近の物を見つけるには底の薄い靴であたりを踏んでみる。たけのこの周りを、根本まで深く掘る。先端が地面から15cm以上出ている物は、身が固い。(全長約40cm)先端が地面から出るか出ないかの物は、おいしい。(全長約20cm)

たけのこは、ただ出ているのを掘るのではなく、今日出てきた若いのを採る。

見分け方は、たけのこの上が黄色っぽく、やわらかいのが若いたけのこ。

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2008年4月11日 (金)

愛媛産の花といえば

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愛媛産の花といえば「デルフィニューム」という花の名前、ご存知だろうか?

淡い青から濃い紫まで色数もさることながら種類も豊富なこの花、最近の流行の花だそうで、テレビや雑誌などのアレンジで多く使われているようだ。「そういえば見たことある」と思われた方も多いのでは?

花言葉:「慈悲」「あなたは幸福をふりまく」「誰もがあなたを慰める」

デルフィニューム(おおひえん草 大飛燕草)大きな花穂が特徴の豪華な切り花

Delphinium  宿根草~1年草【きんぽうげ科ひえんそう属】

原産地はヨーロッパ他各地の山地

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バラやデルフィニュームに代表される愛媛県の花。バラは北海道から大阪まで出荷され、市場では「愛媛のバラは質と品揃えが良い」との評価を得ています。一方、冠婚葬祭などによく利用されるデルフィニュームは、縦に長く連なって咲く大きな花姿が特徴で、ブルーマジックやガンマアーミーなどの愛媛県独自の品種が珍重されている。

1mを越える茎に50~60個の花がつき、見栄えが良いため、特にイベント会場やホテルのロビー等でよく使用されています。県内では西条市、大洲市、松山市等で栽培されており、水色のガンマアーミー、濃青色のブルーマジック、藤色のシフォンベール等の品種を中心に、主に12月から6月にかけて東京や大阪等へ出荷されており、高い評価を受けている。

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2008年4月 6日 (日)

「水道丸」

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「水道丸」

瀬戸内海の島々に半世紀、水を運び続けてきた今治市の給水船「水道丸」が4月で運航を終える。水道丸が運航を始めたのは昭和29年。四国本島から2キロ以内の来島海峡に浮かぶ、来島、小島(おしま)、馬島に住む計44世帯79人が1日に使う量の水を届け巡ります。現在の水道丸は5代目だ。船底が貯水タンクになっています。毎朝、淡水約30トンを全長12メートルの船のタンクに積み、生活に欠かせない水を届けるため、時化(しけ)の日も休むことなく今治市のしまなみ海道の玄関口、造船所が建ち並ぶ波止浜港を出港する。地形によって変わる潮流を読み、巧みに船を操って島を回る。水はポンプで島の高台にある配水池にくみ上げられ、各家庭に行き渡り、島の人たちは飲み水から生活用水まで分け合って大切に使います。

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売却される。汽船「水道丸」

船舶検査済票の番号第281-30171号

総トン数(船舶の長さ)13トン(11.84メートル)

用途 給水船

船質 鋼船

機関の種類 船内機

船舶検査証書有効期間平成23年3月9日まで

予定価格 1,851,000

水に不便しなかったのは水道丸が毎日水を届けてくれるおかげ。長い間ご苦労さまと言いたい。

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2008年3月30日 (日)

瀬戸の真鯛の力こぶ

東温市の古老の息子さんとの対面を楽しみにしていたが、40年近く「官僚」として過ごして来た彼には、私のような一般ピープルの言葉が通じないのかと、がっかりしてしまった。何十年か前の役所の職員じゃあるまいに庶民性がまったくないと、つい思ってしまった。そして、笑いながら「東京に戻って、天下りでもしたらどうですか」と口に出してしまった。すると、奥さんが「そうなんですのよ、もう少し融通が利いていたら、どこかの会社へ再就職できたと思いますのよ」といった。古老が私を呼んだ意味が分かったような気がしてきた。私は続けて、「OBの受け入れだけを目的にした公益法人に再就職はどうですか」と言った。喧嘩を売った訳ではない、息子さんの考えを糺したかったからである。すると、口の重い息子さんから、これまでの経緯が聞こえた。「公益法人には何ら必要もない「仕事」をするために創設された税金の無駄使いを生んでいるところもある。そのようなところに再就職してまで、金銭に執着したくない」古老と私は顔を見合わせて良かったと思い笑った。なぜなら40年近く「官僚」として過ごして来た彼にも、一般ピープルの思いが少しだけ芽生えているのだ。古老の奥さんが真鯛を焼いてお祝いだから、さぁさぁ皆で食べてと差し出した。天然の真鯛である。私は「おたたさん」に頼んだのかと聞くと、古老の奥さんがおたたさんという言葉を久しぶりに聞いたのか、「おたたさんねぇ」と言って笑った。息子さんの奥さんは「おたたさん」ってなんですのって不思議な顔をしていたが、大きな真鯛を見て驚いていた。皆で食べていると、骨が見えてきて、息子さんの奥さんの箸が止まった。この鯛の骨、なぜここだけ膨らんでいるのと、息子さんに聞いてから、もしかして何かに汚染されていたのではと言い出した。古老は「天然だからよ」とだけ言ったが、これは、天然の鯛だけに存在する『瀬戸骨』だと私が説明した。Madaisetohone

○○瀬戸という島と島が近くて潮流の早い所があり、天然の鯛はその早い潮流を泳いでいるので、骨に力こぶが出来る。だから、このこぶは天然の鯛の証明なのだ。説明している間にも息子さんの奥さんは、東京じゃこんなに美味しい鯛を食べたことないわねと言いながら、毎日美味しいものばかり食べてらして良いですねっ、とはしゃいでいた。[後日に続く

]

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2008年3月29日 (土)

古老とさくらの湯

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東温市の古老(87)から電話があった。明日、息子さん夫婦が東京から帰ってくるので、家に寄って欲しいと言う。電話だけでは意味が分からないので、仕事帰りにさくらの湯(東温市のふるさと交流館)で会うことになった。さくらの湯は古老と知り合った場所である。3年程前に古老が私の顔を見て話し掛けて来たのが始まりである。古老は私の顔が甥っ子にそっくりだったので、間違って話し掛けたらしい。その時、私は間違われたついでに古老の背中を流してあげたが、古老も私の背中を流してくれたのであった。早くに父を亡くした私には、父の背中を流した記憶がなく、古老の背中を流すのが、とても嬉しかった記憶がある。それ以来、さくらの湯で会うたびにどちらからともなく、背中を流し合い、まるで仲の良い親子のように、休憩室で瓶に入った牛乳を飲んでは世間話をしていた。また、農家である古老の田植えを手伝いと言うより見に行った事もあった。毎日休まず体を動かしているからか、農家の人は皆、元気である。私の出る幕は無かったのだ。さて、本題であるが、東京で官庁勤めをしていた息子さんが、定年で帰ってくるのだという。息子さんには私の事を何度か話していたので、帰ったら是非に会いたいと息子さんが言ったという。また、しばらく息子と話してないので、何から話して良いか分からないとも言う。これには、親子だから黙っていても分かり合えるんじゃないですか。と答えておいたが、永く離れて暮らしていると、親子でも気を遣うものなのだろう。明日、息子さんに会うのが楽しみである。

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2008年3月20日 (木)

祝1000アクセス

1000アクセス

愛媛へIターン・ブログをご覧下さいまして、ありがとうございます。お陰様をもちまして、今日、1000アクセスに到達しました。また、319日現在、147名の方々から、愛媛で暮らしてみたいとのメールを頂きました。これからも、地元の方々とすでに愛媛にJ I Uターンされている方々のご協力を得て、愛媛の詳しい地域情報をお伝えして行く所存です。今後ともよろしくお願い致します。

愛媛への移住をお考えの方はお気軽にメールでお問い合わせください。

きょうは、『春分の日(お彼岸の中日)』昼と夜の長さが同じになる日です。祝日法では「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としているが、これは「自然に感謝し春を祝福する時期」が来たと知る日でもあります。また、「暑さ、寒さも彼岸まで」と言われるように、この時期から一雨ごとに暖かくなります。この時期に咲く桜の花を見ると、気持ちが高揚してワクワクしませんか、各地では桜の開花時期に春祭りが開催され、四月を新年度として、入学式、入社式が行われますが、人の生活に新しい希望と活力をもたらす季節だからでしょう。愛媛でも桜(ソメイヨシノ)327日頃から咲き始め4月の3,4日には見ごろになります。満開の桜の下で、お花見が盛大に行われますが、野外で宴会を行うのは自然に感謝し春を祝福する為でしょう。新しい希望と活力を持って人生を謳歌しようではありませんか。松山の道後公園はお掘りに囲まれた公園ですが、桜が満開になると桜の島のように見えます。

00097_3 00108_3 ソメイヨシノ        00109_3

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2008年3月 5日 (水)

愛媛では、まむしを「ハメ」という

夜中に、突然

の爆裂音とともに地鳴り。そして閃光。春の雷が気候の変わり目を告げている。学生時代、目の前の電柱に雷が落ちて以来、雷は大嫌いである。両親が年老いてから生まれたからか、親父からも雷を落とされたことは無かった。春の初めに鳴る雷は、春の到来を告げる大変めでたい雷とされ、その雷により雨が降り農民にも喜ばれると聞いたことがある。また、はじめて鳴る春雷を初雷(はつなり)といい、雷鳴に驚き冬眠していた地中の虫たちの目を覚まさせる「虫出しの雷」ともいわれている。

きょうは二十四節気の「啓蟄」である。古来、中国では「二十四節気七十二候」という季節区分が行なわれていた。太陽の周りを地球が一周する一年を360度に区切り15度ずつを「一気」として、二十四節気。それを三等分したのを「一候」とし72あるので「七十二候」という。「気候」ということばはここからきている。七十二候では「蟄虫咸動きて、戸を啓きて、始めて出づ」とある。蟄虫は地面の中に冬眠している虫という意味で、蟻、蜘蛛、蛙、蛇など「虫へん」のつく類が長い冬眠から覚めて、地上に出てくるさまを表わしている。

日本では、虫は自然発生する小動物の総称とされ「虫へん」のつく蛇は虫の中には入っていない。しかし、中国の陰陽五行で季節に生物を配分した五虫において、春は鱗虫(蛇魚等)、夏は羽虫(鳥等)、秋は毛虫(獣等)、冬は介虫(蟹等)とされ、中央に裸虫(人間)が配されている。中国では虫偏のついた蛇も虫として扱われていることから、日本では、ムシの中の虫、真のムシという意味で「真虫(まむし)」と呼ばれるようになった。愛媛では、まむしを「ハメ」というが、蛇を虫とせずにハメをはずしたのだろうか。

道路端にある「ハメ注意」の看板にはご注意ください。まむしがいます。

啓蟄の蟻が早引く地虫かな 高浜虚子

高浜虚子 本名、高浜清。1874年(明治7年)松山市に元松山藩士の4男として生まれる。中学時代に河東碧梧桐と同級になり、碧梧桐の紹介で正岡子規と知り合い、俳句を兄事した。 1893年第三高等学校に入学したが、翌年退学。上京して子規庵に住んだ。 1897年「ホトトギス」の創刊に子規とともに参加。翌年からは高浜虚子が中心となった。「ホトトギス」は夏目漱石の『吾輩は猫である』を掲載するなど次第に散文に移り、自らも散文を活動の中心にうつした。1902年に子規が没すると俳句の創作をやめ、小説に没頭した。 1954年文化勲章受賞。後進の指導にもつとめ、「ホトトギス」からは水原秋桜子、山口誓子、高野素十らを輩出した。

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2008年3月 4日 (火)

愛媛の三大名水

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「うちぬき」

旧西条市の中心地は、西日本最高峰の石鎚山を中心とした高山群を源とする加茂川によって運ばれた水が、市街地で自噴し、豊かな水が四季を通じて尽きることなく溢れ、広範囲に湧き出る自噴水は「うちぬき」と呼ばれている。

地下水量は、自噴地帯には約3m3の地下水が貯蔵されていると推測され、通年で水温変化もなく、清涼で豊富な自噴水であることから、住民の飲用水、生活用水、農業用水、工業用水などのあらゆる水として利用されてきた。

水質については、毎年検査を実施しており、全ての検査箇所で飲用水の水質基準に適合した軟水でミネラル成分のバランスがいい安全で美味しい水であることが証明されている。西条地域の中心部には水道施設がなく、約2,000本の自噴井戸により、中心市街地とその周辺の市民は地下水をそのまま飲料水として利用しています。

河川河口部の末端にあたる禎瑞地区が発祥地であるとされ、同地区にある嘉母神社には「うちぬき音頭」が残っている

「観音水」

西予市宇和町にある鍾乳洞からの湧水で、湧き出るせせらぎ以外物音ひとつない静けさです。日量平均8千トンの水が洞窟から湧き出ていて、毎日この天然水を求めて水汲みの方々が大勢列を作っています。駐車場から洞窟まで6~7分で着きますからもってこいの森林浴場です。

天正時代に、明間堂山城主兵頭藤右衛門一族の一人が、京都清水に参拝し観世音の御姿を見て、城に尊影を安置し、観世音に「御利生に水を・・・。」と