芸能・アイドル

2008年5月10日 (土)

「オケイチャンはね」

Img7060 松山恵子、という歌手をご存知の方も多いと思います。私は小学生の頃に父母と姉と大阪の新歌舞伎座へ観に行ったことがあったが、周りの観客の女性が「お恵ちゃん」と叫んでいたのを覚えている。その頃、泣いていると「あんた泣いてんのね」と言い「だから云ったじゃないの」と言う。これは、「お恵ちゃん」の代表曲の一つ「だから云ったじゃないの」の歌詞で「あんた泣いてんのね」は当時の流行語であった。

Okeician 松山恵子は1937年4月10日。東京で生まれ、父親の故郷である宇和島市へ転居し、小学生、中学生の時には、歌唱力抜群の天才的少女として有名だった。54年、全国歌謡コンクールで優勝。55年、「マドロス娘」で歌手デビュー、独特の歌唱力とさわやかな笑顔で注目をあつめ、翌56年の「十九の浮草」が大ヒットし、57年「未練の波止場」でNHK紅白歌合戦に初出場。その後、「だから云ったじゃないの」「お別れ公衆電話」など数多くのヒット曲を歌い、幅広いファンに親しまれ、庶民派の歌手として人気を博していたが、1969年に交通事故で重傷を負い、この時の輸血が原因でC型肝炎を患うが89年に、再び紅白歌合戦に出場(通算8回うち7回連続出場)した。この時のドレスにバラの花を飾った直径2メートル半のド派手な衣装が話題を呼んだ。90年代後半に、肝硬変から肝臓がんへと病状が進行したが、歌への情熱を失わず、不屈の闘志でステージに立ち続け、95年に日本レコード大賞功労賞を受賞した。裾幅3.5メートル、重さ20キロ以上のフリフリドレスでトレードマークのハンカチを振り、自分のことを「オケイチャンはね」というステージ姿は、その歌に対する情熱とともに、年齢を全く感じさせなかった。今年3回忌を迎えるが、200657日に亡くなるまで「お恵ちゃんのことを悪く言う人は一人もいない」と言われるほど、性格が良いことで知られ、観客・ファンは勿論スタッフにも常に優しく接し、芸能人にもファンは多かった。

Uwagimaokei

JR宇和島 駅の構内に、ヒット曲「お別れ公衆電話」を記念した電話ボックスが設置されているが、時代の流れか現在は携帯電話の充電器が設置されている。また、今日の午後745分から915分までBS2で「歌伝説松山恵子の世界」が放送されます。

 

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