5月5日 端午の節句
子供の健やかな成長願う菖蒲祭
東温市牛渕の浮嶋神社で、菖蒲の葉を供えて、子供達の健やかな成長を願い、相撲を奉納する菖蒲祭が行われました。地元の南吉井小学校の小学校1年から6年の児童62人がまわしを締めて参加し、日本相撲協会の行司、第24代式守伊之助さんが、名裁きを披露して真剣勝負のこども相撲を繰り広げました。
端午(たんご)の節句は、奈良時代から続く古い行事で、端午というのは、もとは月の端(はじめ)の午(うま)の日という意味でした。しかし、午(ご)と五(ご)の音が同じなので、5月5日のなったと伝えられます。季節の変わり目である端午の日に、病気や災厄をさけるための行事がおこなわれ、厄よけの菖蒲をかざり、蓬などの薬草を配り、また病気や災いをもたらすとされる悪鬼を退治する意味で、馬から弓を射る儀式も行われたようです。
武士のあいだでは尚武(しょうぶ=武をたっとぶ)の気風が強く、「菖蒲」と「尚武」をかけて、端午の節句を尚武の節日として盛んに祝うようになったのです。
玄関前に幟や吹き流しを立てていたものが、やがて厚紙で作った兜や人形、また紙や布に書いた武者絵なども飾るようになっていったのです。さらに江戸時代の中期には、武家の幟に対抗して、町人の間では鯉のぼりが飾られるようになりました。
端午の節句の食べ物は、柏餅や粽です。楚の国の高名な詩人、屈原は国王の側近としてつかえ、人々からも慕われていました。しかし、陰謀の為、国を追われることになった屈原は、ついに汨羅(べきら)という川に身を投げてしまったのです。その日が5月5日。屈原の死を悲しんだ人々は、たくさんのちまきを川に投げ入れて弔いました。この物語が、端午の節句に粽を作って食べるという風習の起源だと言われています。
中国の故事に「黄河上流に龍門という滝のような急流があり、それを登ることのできた鯉だけが龍になった」とあります。人生の流れの中で遭遇する難関をその鯉のように突破して出世、成功することを意味しているのです。江戸時代から、この「登竜門」のいわれにより「鯉のぼり」を揚げこどもの将来の立身出世を願ったのです。
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