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2008年3月

2008年3月31日 (月)

お粥とすき焼き

すき焼き食べ放題

Img10110_2 Img53378_3          

明日、41日からガソリンが1リットル25円安くなるのが決まった。いろいろと議論はあるだろうが、車を運転する者として、満タンごとに千円以上安いガソリン代は魅力である。

車の税金は、大きく分けて3段階で税金を納税する。
購入時に掛かる税金、
消費税(車体価格、オプション、経費)自動車取得税、自動車重量税、自動車税、軽自動車税
保有していると掛かる税金

自動車税、自動車重量税
走るために掛かってくる税金

揮発油税、軽油引取税、地方道路税、ガソリン/軽油価格の消費税

税金によって国税、地方税と納税先が分かれている。その税金は車関連の道路などにだけ使う「目的税」と、なんにでも使う「普通税」にわかれています。税金の種類も多いが、さらに本来の税率に加えて「暫定税率」。が課税されている。

自動車取得税3%5%(軽・営業用除く)自動車重量税2500円/,5t6300円/,5t

揮発油税24.3円/48.6円/L。地方道路税4.4円/.2円/L。軽油取引税15円/32.1円/L。
これだけの税金を納税しないと、車を走らせる事は出来ません。車を走らせるという事は、自動車の取得段階、保有段階、走行段階でこれだけの税金を納税するという事ですが、今回このどこに使われているのか分かりにくい「暫定税率」。を廃止しろ、廃止しない。で揉めているのである。「暫定税率」。が無ければ地方の財政が困窮する。道路が造れない。「暫定税率」。

を廃止すれば、安いガソリンを多く消費してCO2が増え環境に悪い。などと国民を怯えさせているが「母屋が粥をすすっているのに離れではすきやきを食べている」のである。

改革を叫んで、先々代が残した2/3を「暫定税率」に使ってはいけんよ。

いけん。血圧が上がってきた。

炊いたご飯に適量の水を加えて15分煮ましょう。

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2008年3月30日 (日)

瀬戸の真鯛の力こぶ

東温市の古老の息子さんとの対面を楽しみにしていたが、40年近く「官僚」として過ごして来た彼には、私のような一般ピープルの言葉が通じないのかと、がっかりしてしまった。何十年か前の役所の職員じゃあるまいに庶民性がまったくないと、つい思ってしまった。そして、笑いながら「東京に戻って、天下りでもしたらどうですか」と口に出してしまった。すると、奥さんが「そうなんですのよ、もう少し融通が利いていたら、どこかの会社へ再就職できたと思いますのよ」といった。古老が私を呼んだ意味が分かったような気がしてきた。私は続けて、「OBの受け入れだけを目的にした公益法人に再就職はどうですか」と言った。喧嘩を売った訳ではない、息子さんの考えを糺したかったからである。すると、口の重い息子さんから、これまでの経緯が聞こえた。「公益法人には何ら必要もない「仕事」をするために創設された税金の無駄使いを生んでいるところもある。そのようなところに再就職してまで、金銭に執着したくない」古老と私は顔を見合わせて良かったと思い笑った。なぜなら40年近く「官僚」として過ごして来た彼にも、一般ピープルの思いが少しだけ芽生えているのだ。古老の奥さんが真鯛を焼いてお祝いだから、さぁさぁ皆で食べてと差し出した。天然の真鯛である。私は「おたたさん」に頼んだのかと聞くと、古老の奥さんがおたたさんという言葉を久しぶりに聞いたのか、「おたたさんねぇ」と言って笑った。息子さんの奥さんは「おたたさん」ってなんですのって不思議な顔をしていたが、大きな真鯛を見て驚いていた。皆で食べていると、骨が見えてきて、息子さんの奥さんの箸が止まった。この鯛の骨、なぜここだけ膨らんでいるのと、息子さんに聞いてから、もしかして何かに汚染されていたのではと言い出した。古老は「天然だからよ」とだけ言ったが、これは、天然の鯛だけに存在する『瀬戸骨』だと私が説明した。Madaisetohone

○○瀬戸という島と島が近くて潮流の早い所があり、天然の鯛はその早い潮流を泳いでいるので、骨に力こぶが出来る。だから、このこぶは天然の鯛の証明なのだ。説明している間にも息子さんの奥さんは、東京じゃこんなに美味しい鯛を食べたことないわねと言いながら、毎日美味しいものばかり食べてらして良いですねっ、とはしゃいでいた。[後日に続く

]

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2008年3月29日 (土)

古老とさくらの湯

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東温市の古老(87)から電話があった。明日、息子さん夫婦が東京から帰ってくるので、家に寄って欲しいと言う。電話だけでは意味が分からないので、仕事帰りにさくらの湯(東温市のふるさと交流館)で会うことになった。さくらの湯は古老と知り合った場所である。3年程前に古老が私の顔を見て話し掛けて来たのが始まりである。古老は私の顔が甥っ子にそっくりだったので、間違って話し掛けたらしい。その時、私は間違われたついでに古老の背中を流してあげたが、古老も私の背中を流してくれたのであった。早くに父を亡くした私には、父の背中を流した記憶がなく、古老の背中を流すのが、とても嬉しかった記憶がある。それ以来、さくらの湯で会うたびにどちらからともなく、背中を流し合い、まるで仲の良い親子のように、休憩室で瓶に入った牛乳を飲んでは世間話をしていた。また、農家である古老の田植えを手伝いと言うより見に行った事もあった。毎日休まず体を動かしているからか、農家の人は皆、元気である。私の出る幕は無かったのだ。さて、本題であるが、東京で官庁勤めをしていた息子さんが、定年で帰ってくるのだという。息子さんには私の事を何度か話していたので、帰ったら是非に会いたいと息子さんが言ったという。また、しばらく息子と話してないので、何から話して良いか分からないとも言う。これには、親子だから黙っていても分かり合えるんじゃないですか。と答えておいたが、永く離れて暮らしていると、親子でも気を遣うものなのだろう。明日、息子さんに会うのが楽しみである。

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2008年3月28日 (金)

「瀧姫」と「おたたさん」

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後冷泉天皇の永承年間(10461052)、京都の公卿清原朝臣の妹、御多喜津姫(瀧姫)が身分違いの愛を遂げようとして罪に問われ、三人の侍女と共に京都から追放されました。流罪により、船に乗せられた4人は伊予の国松前浜に漂着しました。漂着した瀧姫たちの身の上話を聞いて、人情厚い松前の人々はいたく同情して親切丁寧に世話をしました。瀧姫らも温かい松前の人々の人情に心動かされ、この地を永住の地と定め、生活のために魚行商の道を求めました。

Takihime

瀧姫は、京に住んでいたころに見かけた大原女を思い起こし、平元結に銀のかんざし、どんすの帯を前結びにし、黒羽二重の紋服に裾をからげ、桶を頭上にいただいて、松前城下を「魚いらんかえ-魚買わんかー」と京言葉で売り歩きました。魚を売り歩く、美しく気高い滝姫の姿に村人達は憧れ、やがて「おたきさま」と呼ぶようになり、村の女達は滝姫と同じ服装をして頭上に桶を乗せて松前から川内まで魚の行商を行いました。そして、滝姫の死後に村の女達を「おたたさん」と呼ぶようになりました。

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慶長7年(1602)に当時の松前城主、加藤嘉明が松山城の築城に着手した際に、松前の港に陸揚げされた城を築く為の石礫(せきれき)を運ぶのに「おたたさん」の頭上運搬能力を買い、おたたさんに魚の代わりに石礫を乗せて松前から松山まで運ぶことを命じました。大名から送られた石垣用の石を、毎日たくさんの松前のおたたさんが頭の上に乗せて松山まで運んだのです。松山城が完成すると功績を頌えられ「御用櫃」の焼き印の入った桶を頭上に乗せて城下での商売が許され、松山城の城門に入るのも自由でした。

私見ですが、松山のおっとりとした話し方は「おたきさま」と「おたたさん」の「魚いらんかえ-魚買わんかー」と京言葉で売り歩いたことが影響しているのではと思っている。

今日でも「おたたさん」は、朝夕にリアカーや単車で、松前町や松山市内で魚を売って回っています。

2008年春に中四国最大のショッピングセンター「エミフルMASAKI」が松前町に完成オープンし、190店舗の専門店が入り「笑顔いっぱい」の笑顔が降るまち、エミフルが誕生します。

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2008年3月27日 (木)

伊予のねがい石

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伊予灘に面した海岸は、渚から松原につづく砂丘に赤緑青白紫と五色の美しい碁石のような小石が埋めつくされ、そのため五色浜とよばれる。この五色の小石に哀れな伝説がある。寿永(1182)の昔、平家が滅亡した頃、この浜に五人の美しい姫が隠れ住んでいた。姉の姫は源氏への恨みを晴らそうと海岸で真赤な「平家蟹」を見るにつけ、源氏の旗と同じ色の白い蟹を探すのですが、見つかりません。妹たちにも「白い蟹、源氏蟹を探せ」と命じたが、然しそのような白い蟹などいるわけがない。毎日、姉姫に責められるつらさに、妹たちは一計を案じ、白粉(おしろい)を赤い蟹にぬって姉姫に差し出しました。姉姫は喜んで「この源氏蟹め・・・」と海岸の岩にその蟹をたたきつけたところ、浪にあらわれ白粉がとれ、真赤な「平家蟹」が現れました。嘘と気づいた姉は失望と怒りに錯乱して一人の妹を殺し、三人の妹姫は恐ろしさの余り逃げ廻ったが「いっそ父上や兄様のもとに参りましょう」と相抱いて海に身を投げ、姉姫も「憎い源氏め・・・」とののしりながら海辺をさまよい、妹姫のあとを追い自らも海に身を投げました。それ以後、浜に五色の小石が現れたのが地名の五色浜の由来となったのです。

Gosikihime_2 土地の人々は、五色の石を手にして悲しみにうちひしがれ、石になってしまった五色の姫達が生き返ってくれることを日々願いました。人々の涙が五色の石にふりそそぐと不思議なことに海のかなたから、五色姫達がよみがえりました。それ以来、「五色の石に願い事をするとかなえられる」と言う言い伝えが広まり、祈願成就の「ねがい石」として現代に伝承されています。ねがい石は特に五のつく日と神社祭事日に五色姫神社へ奉納し願い事をするとかなえられます。Gosikihime1_2 この伝説にちなんで3月の第4日曜日に五色姫の復活祭を開催しています。当日は五色姫と女性神輿のパレードで盛りあがります。

夕栄の五色が浜をかすみけり  子 規

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2008年3月26日 (水)

道後公園で2008桜開花

Kaika

開花宣言。325日、松山の道後公園にあるソメイヨシノの開花標準木の桜が開花した。公園の近くに住む友人から、テレビ局の人が開花のニュース映しにぎょうさん来よるけん、来てみんかえ。と電話があり、ウキウキして道後公園に寄ってみた。何人かの人が携帯電話のカメラで蕾からホロッと咲いた桜を順番待ちして写している。並ぶのが嫌いな愛媛県民が行列している。そして、いつのまにか私も行列に加わっていた。私が、パシャ、パシャと写してサッサと終えると、後ろのおばさんが小声で、急がなくてもいいのよ、ちゃんと写っているのって言っているのが聞こえた。

近頃の携帯電話のカメラには調整機能として、明るさ、ホワイトバランス、撮影モード、画質、画像サイズ、手振れ補正が付いていて、デジタルカメラ並みの機能である。世代からか、機能が多すぎて使い方が分からない程だ。そして、枚数に制限のあるフィルムカメラの名残からかなかなかシャッターを切らないので時間がかかるのである。シャッターを押せば写るのだから何枚か写しておいて、写りの良いのを選べば済むことだが、色々と調整し、被写体の写り具合を考えなければ綺麗に写らないと思っているのだろう。偉そうな事を言っているが、私自身、パソコンとプリンターを使いこなせるようになるまでおばさんと同じように思っていたのでよく分かる。

ブログを作るのも写真を多用して見てもらいたいと思うのだが、拙い文章を読んでもらうブログも良いのではと今は思っている。その内、変身するかもしれませんが。何事も一生勉強です。

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2008年3月25日 (火)

三つの「さか」

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春の高校野球大会(センバツ)で今治西が初戦で負けてしまった。どこかの元首相が、講演の中で引用していた言葉を思い出した。人生には三つの「さか」がある。一つは上り坂。しかし、上り坂であるうちはまだ良いのですが、上り坂があれば下り坂もある。もうひとつの「さか」は下り坂です。そして三つ目の「さか」は「まさか」。「まさか、こんなことが起こるなんて」の「まさか」です。良くても悪くても予期せぬ何かは衝撃を与えます。しかし、その「まさか」の多くは自分が少しずつ作り出しているということも少なくはない。との事であったが、今治西を応援していた県民は「まさか」という感じだろう

私が、今日仕事をしていた西条市の野球好きは、昨年、秋の四国大会で優勝出来なかったことが、今治西の実力だと言う。四国大会でダントツに強くなければ、近頃の甲子園では勝てないと言う。私の持参したペットボトルに、うちぬきの水を蛇口から直接入れながら、今年の西条高校は強いよ、夏は西条やけん。とニコッと笑っていた。

帰りの車中で、今治西も「まさか」に懲りて猛練習するだろうし、済美も「やればできる」と狙っているだろう、夏の予選が今から楽しみである。桜三里の桜は蕾が少し膨らんできたので、月末頃には満開になるだろうと思いながら、重信(東温市)のさくらの湯に入ってから帰宅した。

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2008年3月24日 (月)

石手川ダム

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今日は朝から雨でした。別に雨がめずらしい事ではないが、松山では春先からの雨は貴重である。松山の水がめである石手川ダムの水位が下がらないように、補ってくれる雨は恵みの雨だ。夏に石手川ダムの側の道路を通って今治に行くとき、ダム湖である白鷺湖の水位が気になる。湖岸は水位が高いと水面からすぐに木が植わっているように見えるが、水位が下がると湖岸から土の部分が見えて水量が分かる。我が家は地下水を利用しているので、石手川ダムからの水に頼っていないが、日照りが続くと湖岸の道路を通る度に雨が降らないかなぁと、ついつい思ってしまうのである。

同じ松山市内に住んでいて、石手川ダムの水位によっては、利用を制限され、塩素の匂いのする水を水道料を払って利用している人がいれば、石手川と重信川とその他の川から地下に流れ込んで濾過された水を利用して、地下水を汲み上げるポンプの料金と下水道料金を払って利用している人もいる。

松山市内には、住む地域によって水道水を利用する地域と地下水を利用する地域があるのだ。長い間、大阪で塩素臭のする淀川の水で育ったせいか塩素の匂いが懐かしい時もあるが、やはり、臭いの無いのが一番である。そして、明日は西条へ行くので、ペットボトルを10本持参して仕事帰りに「うちぬき」の水を汲んでくる予定である。Photo_2

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2008年3月23日 (日)

コーチはお父さん

8 坊ちゃんスタジアムとマドンナスタジアム(松山中央公園)

春の高校野球が始まった。愛媛からは今治西高校が出場しているが、地元ではもう一つ盛り上がっていない。夏の高校野球のように、地元での予選が無いからだろう。野球好きの愛媛県民であるが、住まいの近くの学校や出身校が予選から戦うのを、応援するのが良いのだろう。以前、近くの公園で親子がキャッチボールをしているのを見たが、小学校の1年生の男の子に、お父さんが「今から真剣に練習しなければ、○○高校に行けないぞ」と言って容赦のない送球をしていた。子供は、グローブを買ってもらったばかりなのか、キャッチボールがぎこちない。お父さんの送球にグローブをだすが、うまくキャッチできないでいる。送球が子供相手にしては早過ぎるのだが、お父さんの送球は容赦がない。しばらく見ていると子供の顔が真剣になってきた。それとともにキャッチが巧くなってきた。お父さんは、そうだ、そうだといって送球を続けていた。今思うと子供に合わせて送球していたら、単なるお遊びのキャッチボールで終わり、子供は上達していなかったかも知れない。お父さんは夏の高校野球の県予選でベスト8までいった高校のメンバーだった。愛媛の子供のコーチは厳しいお父さんなのです。

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2008年3月22日 (土)

「たれゆえそう」

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「こかきつばた」は、(和名 エヒメアヤメ、別名 タレユエソウ) 花の茎が515cm、花の直径は34cmとアヤメ科 アヤメ属の中では日本で最も小さい。エヒメアヤメは、故牧野富太郎博士が愛媛県の腰折山で発見し名づけた。自生南限地とされ国指定の天然記念物に指定されている。「こかきつばた」は、伊予節や地元の人たちが呼んでいる方言名である。

伝 説

 

「たれゆえそう」とお姫様

 

 むかし、昔、お姫様と乳母とお供の侍が乗った小舟が、浅海(あさなみ)の海岸に流れ着いてのう。この人たちは追われの身で、里人たちに、かくまってくれるように頼んだんじゃそうな。そしたら、里人の一人が、「腰折山に岩屋があるけん、そこなら人目につかんので、追っ手に見つかることもなかろう」と言うて、岩屋を教えたんじゃそうな。それから、お姫様ら三人は、腰折山の岩屋に住んどりよった。
月日も流れ、ある日のこと、お供の侍が、用事があって留守をしているところへ、追手の侍がやって来て、ついに、お姫様も乳母も、斬られてしもうたんじゃそうな。
何年かたって、ある春のこと、岩屋の前を里人が通りよると、見たこともない美しい花が咲いとんのよ。そいで、あのお姫様の生まれ変わりじゃないじゃろうかと、噂するようになったんじゃ。それから、誰いうともなしに、この花を、「たれゆえそう」と、呼ぶようになったんよ。

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2008年3月21日 (金)

いぬるにいねれん

2年前に大阪からIターンしてきたYKさんとの食事会に行ってきました。温泉に入ってから食事。まあ宿泊しない旅行客です。15名が席についていたが、初対面の人が6人いた。ご主人が入院中に知り合った「無事生還」した人達である。残りの人は、奥さんを除くと全員男性で、全員顔見知り。まるで、男子高校の同窓会か、会議の後の宴会である。ビールで乾杯したが、その後は誰も酒を飲まない。入浴中に6人の体に残る手術の縫い目を生々しく見て、6人からそれぞれに病歴と手術の説明を受けたせいだと思うが、「無事生還」組に遠慮している面もある。たばこを片時もきらさずに吸っている東温のおじさんも、たばこを吸わない。静かなのかというと、ワイワイがやがやと、伊予弁で盛り上がっている。皆、けっこう「あんき」(心配がない)なのだろう。温泉まつりの女みこしの「おなごし」(女性)が可愛かったとか。水ばかり飲むので「いばり」(寝小便)が出るとか。YKさんも奥さんも2年で、話し方が伊予弁風になっている。とりとめのない話で笑っているのが、一番の薬だ。以前に長い話を聞いた事があり、始まったらどうしようと心配していたYKさんのご尊父のインパール従軍記は話題にならなかった。誰かが、砥部焼きの廉売セールのことを話し出した。そういえば、毎年この時期に窯元の在庫処分セールがある。日常使う器が安く買えるので、地元の人が出掛けるが、値段は0円からキリまである。その人の話は、去年、セールに行き家庭で使う砥部焼きを安いからと50個ほどを5000円で買ったが、大阪に居る息子が来て30個ほどを持って帰り、ご近所や会社で配ったという。すると、ご近所や会社の人が、砥部焼きをただで貰ったといって、肉、ハム、酒な色々なお返しを貰ったという。息子さんから、今年も配るからと50000円を送ってきたが、500個も「送れん」(送れない)と電話したら、息子さんは驚いて50000円を夏まで預けとくと言ったそうである。食事会から「いぬるにいねれん」(帰るに帰れん)かったが、夜9時にお開きとなった。Img007

週間朝日から

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2008年3月20日 (木)

祝1000アクセス

1000アクセス

愛媛へIターン・ブログをご覧下さいまして、ありがとうございます。お陰様をもちまして、今日、1000アクセスに到達しました。また、319日現在、147名の方々から、愛媛で暮らしてみたいとのメールを頂きました。これからも、地元の方々とすでに愛媛にJ I Uターンされている方々のご協力を得て、愛媛の詳しい地域情報をお伝えして行く所存です。今後ともよろしくお願い致します。

愛媛への移住をお考えの方はお気軽にメールでお問い合わせください。

きょうは、『春分の日(お彼岸の中日)』昼と夜の長さが同じになる日です。祝日法では「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としているが、これは「自然に感謝し春を祝福する時期」が来たと知る日でもあります。また、「暑さ、寒さも彼岸まで」と言われるように、この時期から一雨ごとに暖かくなります。この時期に咲く桜の花を見ると、気持ちが高揚してワクワクしませんか、各地では桜の開花時期に春祭りが開催され、四月を新年度として、入学式、入社式が行われますが、人の生活に新しい希望と活力をもたらす季節だからでしょう。愛媛でも桜(ソメイヨシノ)327日頃から咲き始め4月の3,4日には見ごろになります。満開の桜の下で、お花見が盛大に行われますが、野外で宴会を行うのは自然に感謝し春を祝福する為でしょう。新しい希望と活力を持って人生を謳歌しようではありませんか。松山の道後公園はお掘りに囲まれた公園ですが、桜が満開になると桜の島のように見えます。

00097_3 00108_3 ソメイヨシノ        00109_3

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2008年3月19日 (水)

松山東高校合格

久米の古老からメールが来ていた。
「あすなさ、7時に迎えに行くけんど!かまん」(明日の朝7時に迎えに行くが、いいですか) ところが、朝6時半携帯電話が鳴った。「起きよる、待ちよるよ」普段なら7時といっても、必ず遅れて来る人が今日は早い。慌てて出ていくといつも軽トラックなのに、普通車が停まっていた。運転席にジャケットを着てシャンとしたカッコで座っている。「どしたん」と聞くと「乗って乗って」と言う。孫娘が東高(県立松山東高校)を受検して、今日は合格発表、そこで孫に内緒でそっと見に行くという。
孫が不合格であったら、私に帰りの車の運転を頼もうとしていたらしいが合格発表を見に行くのに朝の7時は早い。喫茶店で話しをしながら待つことにしたが、突然、石手寺に行くと言い出した。車中、孫娘の話を聞いたが、つい最近まで「ランドセルかるう(背負う)て行きよったんよ」それが、東高やけ、早いもんよね。ほうよね。と話しているうちに石手寺に着いた。

お彼岸の墓参に来た人と、近くに道後温泉があるので観光客や、お遍路さんで朝から賑わっている。参道の仲見世を通っていくと、仁王門があり、大きなワラジが架かっいる。
仁王門は鎌倉時代末期に建造されたもので国宝に指定され、三重の塔、鐘楼、本堂は
国の重要文化財、大講堂正面には「玉の石」が安置され拝観できる。
「湯音石(ゆおといし)」という高さ1mほどの角柱があり、上部には穴があいていて、その穴に耳を当てると、道後温泉のお湯の音が聞こえる。
大師堂の右にある訶梨帝母(かりていも)堂には鬼子母神が祀られていて、ここの石を持って帰れば、必ず子どもが授かるといわれ、無事出産を終えると石に名前を書いて返すそうである。

二人でうろうろしているうちに、古老の携帯にメールが来た。
「さくら咲いたけん」古老はメールを見て、桜はまだ咲いてなかろうと言う。
「さくら咲いた」は合格の知らせだと言うと、ホッとしたのと嬉しさからか、
お遍路さんに「孫が東高に合格したけん」とニコニコと挨拶をしている。
私も一緒にニコニコと挨拶したが、お遍路さんも一緒になって喜んでいた。
        

Higasiko04_5 松山東高校は県立高校では、一番偏差値の高い高校だが、

夏目漱石や映画「がんばって いきまっしょい」で有名な学校なのです。

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2008年3月18日 (火)

松山のがんセンター

Y・Kさんの事が気掛かりだったが、今日は確定申告の最終日。

茶封筒に書類をつめて、税務署へ、最終日は例年空いているが、

15日が土曜日だった為か混んでいた。

早く済ませたいと、自分で計算して申告しに行ったつもりであった

が、なんとなく不安がある。案の定、受付で書類にミスがあると指

摘された。受付にいた女の子は、アルバイトの腕章を付けていたが

、物凄く親切で書き直しの書類を入り口まで取りに行き、記入ミス

の箇所を丁寧に教えてくれた。おかげで、その後はスムースに申告

が済み、少しではあるが税金が戻される事になった。

夕方Y・Kさんに電話すると、ご主人から松山のガンセンターで胃ガ

ンの摘出手術をしたとの答えが返ってきた。ご主人は、まるで盲腸

の摘出手術のように簡単に考えていたという。

奥さんは、たいそう心配したそうであるが、それが、無事生還とな

ったようだ。ご主人は慌てず騒がず、ご主人のご尊父はあのビルマ

戦線のインパールで死闘をした菊兵団の生き残りだという。

20日は長い話になりそうな予感がする。

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2008年3月17日 (月)

気になる友人

2年前に大阪からIターンしてきたY・Kさんから久しぶりにメールがきた。

「長らくご無沙汰しておりましたが、無事生還しましたので、3月20日に

道後温泉まつり を見に行きます。ご都合宜しければ、

ふなや にて食事でもご一緒しませんか。ご連絡お待ちします」

Y・Kさん本人は男性なので、メールは奥さんからであろうと推測しながら

了解した由を返送したが、「無事生還しました」が気になる。

3月20日になればすべては分かるが、

もしかして大病で入院していたのではないか。

なぜ連絡をくれなかったのかと気が揉める。

夕方にでも電話で確かめてみようと思っている。

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2008年3月16日 (日)

松山の春祭りは野球拳

松山の春祭りは、「野球拳全国大会」や「歌謡チャンピオン大賞」など様々なイベントが、
4月最初の金~日曜日に松山市丸之内・松山城周辺で繰り広げられる。その中でも特に注目のイベントは、「大名・武者行列」。大名や武者の姿に変身した行列が松山の中心部を練り歩く姿は、まさに時代絵巻の世界。

野球拳の誕生は大正13年10月。伊予鉄野球部は高松の屋島グラウンドの完成記念近県実業団野球大会に出場しましたが、水原茂らを擁する高松商・高松中のクラブ連合に完敗しました。旅館での懇親会の席で、伊予鉄野球部マネージャーで川柳作家として著名な前田伍健は即興で歌詞を作り、三味線で節をつけ、部員全員にユニフォーム姿で躍らせました。歌と三味線に合わせて野球の姿をキャッチボール、打撃の手振り、身振り、アウト、セーフは審判のマネで表し、ユニフォーム姿での踊りは、宴会の雰囲気にピッタリとマッチして大喝采を受け、夜の部は伊予鉄野球部の圧勝でした。一行は揚々とこの踊りを松山に持ち帰り、松山の料亭で披露したので、以後、宴会芸の定番となりました。

松山の野球拳。3人一組による団体戦で行なう、双方1名ずつが前へ出て「プレイボール!」

の掛け声とともに競技開始。三味線と太鼓の伴奏に合わせて歌い踊る。

野球するなら こういう具合にしやしゃんせ 

投げたら、こう打って 打ったら、こう受けて 

ランナーになったら、エッサッサー 

アウト、セーフ、(野球の塁審のマネをする)

ヨヨイノヨイ(掛け声に合わせてじゃんけんの手を出す)

あいこの場合は「アイコデホイ」と言って繰り返し勝負が決まるまで続ける。

(勝負が決まると)へぼのけ、へぼのけ、おかわりこい

(伊予弁で「へぼ」は下手な奴、「のけ」は「どけ」を意味する)のお囃子と共に負けた者は退場し、次の者に交替する。一方の選手が全て敗れた時点で3アウトゲームセット。

松山の野球拳は、負けても服は脱ぎませんよ。

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2008年3月15日 (土)

松山のコマーシャルソング

「恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい!」

最近松山でコマーシャルとして曲が流れている。

なんとも癒される曲である。

この街で生まれ その街で育ち

この街で出会いました あなたと この街で
 
この街で恋し この街で結ばれ
 
この街でお母さんになりました この街で

■あなたのすぐそばに いつもわたし

■わたしのすぐそばに いつもあなた

この街でいつか おばあちゃんになりたい

おじいちゃんになった あなたと歩いてゆきたい

…間奏1コーラス(16小節)…

■坂の上に広がる 青い空

■白い雲がひとつ 浮かんでいる

あの雲を追いかけ 夢を追いかけて

喜びも悲しみも あなたと この街で

……1音up(4小節intro)…… 

この街でいつか おばあちゃんになりたい

おじいちゃんになった あなたと歩いてゆきたい
 
この街でいつか おじいちゃんになりたい
 
おばあちゃんになった あなたと歩いてゆきたい

●いつまでも 好きなあなたと

●歩いて ゆきたい

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2008年3月14日 (金)

愛媛の渋沢栄一

夏目漱石の「坊っちゃん」で「乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分許り動いたと思ったら、もう降りなければならない」と紹介された。「坊っちゃん列車」

明治21(1888)1023日、日本初、レールの幅が2フィート6インチと狭い軽便鉄道が、小林信近らの手により松山~三津間で誕生しました。鉄道ではJR、南海電車に次ぎ全国で三番目の快挙でした。ドイツから購入した機関車は12人乗りの客車を引いて松山から三津浜まで一日10往復しました。

当時、松山から三津浜の間は道路事情が悪く、木材を三津の港に運ぶ運賃が大阪までの費用より高くついたのです。費用がかからず、規模が小さくて住む軽便鉄道の利用を思い立ち、鉄道局へ敷設願いを出したのですが、当時は国営線が新橋-横浜間、京都-神戸間。私鉄線も大阪-堺しか開通していませんでした。小林信近は鉄道局を何度も訪ね、ついに許可されたのでした。

その後、道後鉄道、南予鉄道が誕生しますが、最終的には伊予鉄道が2社を吸収合併。明治44(1911)88日、一番町~道後~古町が電化され、「坊っちゃん電車」が登場します。伊予鉄に対抗しようと道後~江ノ口に松山電気軌道会社が誕生し、壮絶な競争が開始されました。料金の大幅値引き、景品、鐘を鳴らしての客取り合戦が繰り広げられましたが、大正10年(1921)伊予鉄道が松山電気軌道を併合しました。伊予鉄道は現在バスや不動産、デパート経営など伊予鉄グループを形成しています。
小林信近は天保13年、松山藩の儒者、中島漢山の子どもとして生まれ、自由民権運動を唱えて、共耕社という政党を組織し、県議会議院に選出されて議長まで務めています。また、伊予鉄道や松山水力発電会社、第五十二銀行(後の伊予銀行)、伊予製紙会社など地域発展のために身を捧げます。これらの事業は成功すると他の人に譲り、自分は新しい事業に取り組むという方法をとったのです。小林信近は、愛媛の渋沢栄一と言えるのではないでしょうか。

参考資料/愛媛の明治・大正史 高市盛周著 愛媛文化双書 伊予史あらかると 景浦勉著 

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機関車は床下の油圧シリンダーを利用して車体を浮かし、車体を180度旋回します。

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坊っちゃん列車*形式D1型 製造年2001 形式D14型 製造年2002

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2008年3月13日 (木)

東温市・立石狸(たていしだぬき)

とんと昔のことじゃそうな。四国には狐がいっぱいすんどってな人間を化かしちゃあ面白がっとったそうな。ほれが、そのいたずらが段々ひどうなって来たもんでな、あの偉い弘法大師さんが腹を立てなはって、とうとう狐を四国から追い出してしまいなはったげな。それからな、四国に狐は一匹もおらんようになったいうが、かわりに今度は狸がはばをきかすようになったそうじゃ。その狸の話しをするかいのう。立石狸の話しじゃ。
重信(東温市)の立石というとこに、一匹の古狸がおったそうじゃ。よう通る人を化かしては、喜んどったんと。
ある時に、この立石を「おたたさん」が通りかかった。「おたたさん」いうのは、頭に桶を乗せて魚を売って歩く女ごの人のことじゃ。おたたさんは毎日、松前(まさき)からここを通って志津川の方へ魚を売りに行きよったんじゃ。ほれが、毎日通っとる道じゃのに気がついてみたら、おたたさんは何時の間にか、知らん景色のとこに来とるんじゃそうな。すぐ前には、見たことも無いような川が流れとる。
「おかしいのう、こげな川があったろか」 おたたさんは不思議に思いながらも、着物のすそをまくり上げて川を渡り始めたんと。ほしたところがの、なんぼ渡っても向こう岸には近ずかんで、川も段々深うなっていくんじゃ。おたたさんは、桶を頭に乗せたまま、今よりもっと着物をまくり上げた。ほんでも、川は尚も深うなる。おたたさんは、もう格好なんぞかもうてはおられん様になってな、とうとう尻をからげて、ザブザブと川を渡って行ったそうじゃ。ほしたらその時じゃ、後から誰ぞが声を掛けた。
「あんた、尻まる出しにして、そこで何しよるんぞな」振り向くと、村のお百姓じゃ。
「川が深うて、困っとるところよ」
「何とな、川とな、川なんぞ何処にあるな、ここは畑ぞな、恥ずかしいけん、早よ着物をおろしなはらんか」
おたたさんは、たまげて辺りを見回した。するとどうじゃ、そこは白い花が一面に咲いとるソバ畑じゃないか。「あんた、立石狸にだまされたんじゃがな」 お百姓の言葉に、おたたさんはハッとして頭の上の桶を見た。案の定、中の魚は一匹も残っとらなんだと。

200802 東温市にある「坊ちゃん劇場」で「我輩は狸である」が公演されていたが、ひょっとして立石狸も出演していたのかもねっ。

Touonnanohana 

坊ちゃん劇場の裏は300万本の『菜の花畑』です。

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